弁造さんのエスキース展~今日も完成しない絵を描いて~2/8-2/24

 北海道で小さな丸太小屋に暮らし、自給自足の生活を営む「弁造さん」。糧を生み出す美しい庭を育みながら絵描きになる夢を抱き続ける弁造さんを14年間に渡って訪ね続けた写真家の奥山淳志さんは、弁造さんの “生きること”を問い続け、24 篇の記憶の物語と40 点の写真からなる写文集『庭とエスキース』(みすず書房)を刊行されました。

 生涯一度も個展を開くことがなかった弁造さん。そんな弁造さんが描き続けたエスキース(下絵、スケッチ)が、2019年6月から日本各地を旅しています。そして2020年2月、冬真っ盛りの福井にもエスキースがやってきます。展示初日の2月8日(土)には奥山淳志さんをお招きしてトーク&スライドショーを行います。→奥山淳志トーク&スライドショー

 エスキースと『庭とエスキース』という一冊の本を行き来しながら、弁造さんの「生きること」を感じてください。

「いつまでも完成しない絵を描き続ける。僕が弁造さんを見つめたのは、1998年から2012年までの14年間でしたが、弁造さんという人はいつもそうでした。ひと部屋しかない小さな丸太小屋のなかでイーゼルに向き合い、女性をモチーフにした“エスキース”ばかりを描き続けました。南国を思わせる木陰で横たわる裸の女性。自慢の髪をかきあげる女性。何気ないひとときを過ごす母と娘。北海道で畑と森からなる「庭」を作って自給自足の生活を続け、生涯を独身で過ごした弁造さんがなぜこのような縁もゆかりもない女性たちを描き続けたのか。それは僕にとって、“弁造さん”を知るうえで欠かすことができない問いかけでした。

 しかし、弁造さんは女性たちを描く理由を語らぬまま、92歳の春にプイと逝ってしまいました。でも、だからなのでしょう。弁造さんが逝ってしまって7年の月日が流れた今日であっても、僕は新たな想像を抱くことを許されます。鮮やかな向日葵色をまとった女性たちのおしゃべりに耳を傾け、弁造さんの胸の内を思い描き、そのたびに新たな弁造さんから“生きること”の奥深さを見つけるのです。

 弁造さんがいなくなってしまった丸太小屋にはたくさんのエスキースが遺されていました。その一枚一枚に描かれた筆跡を辿りながら、弁造さんの“生きること”から放たれている光の綾を一緒に感じていただけますように。」

写真家 奥山淳志

  • 井上弁造(1920-2012)
  • 井上弁造(1920-2012)

    大正9年 北海道総富地(そっち)に生まれ、数え年7歳で総富地尋常小学校に入学。16歳で中徳富(なかとっぷ)高等小学校を卒業。その後は家事を手伝う。父は農産物検査員の傍ら小作農を営む。19歳の春に現在地(当時は作り枯らしの荒地)に入植。自分は夏、農業の手伝い、冬は叔母の家のある東京で洋画を学ぶ。戦中、兄と弟が兵役、自分は2ヶ月の教育招集で家を守って終戦を迎える。戦後は出稼ぎや日雇いと忙しく絵を描く時間も少なく70歳で体調を崩す。今88歳、もし一度個展をひらくことが出来たら幸いです(2009年、当時88歳の弁造さんが自らの略歴を記す)

奥山淳志

(おくやま・あつし)1972年大阪生まれ,奈良県育ち.京都外国語大学卒業後,出版社に勤務. 1998年岩手県雫石町に移住し,写真家として活動を開始.以後,東北の風土や文化を撮影するほか, 人間の生きることをテーマにした作品制作をおこなう. 受賞歴に2006年「Country Songs ここで生きている」でフォトドキュメンタリーNIPPON2006,2015年「あたらしい糸に」で第40回伊奈信男賞,写真集『弁造 Benzo』および個展「庭とエスキース」(ニコンサロン)で2018年日本写真協会賞・新人賞, 2019年第35回 写真の町 東川賞・特別作家賞がある。2019年『庭とエスキース』(みすず書房)を上梓。

開催期間

2月8日 (土)– 2月24日(月)(定休日の火曜・水曜を除く)

展示期間中に下記の販売を行います。

・『庭とエスキース』(みすず書房)

・私家版『庭とエスキース』booklet ‐簡易写真集

 

2月8日 (土)午後2時~

奥山淳志『庭とエスキース』出版記念 トーク&スライドショー