• Vol.02
    • 2019.09.06

    読みつがれる本の力 -児童書は子どものもの?-

「当店では児童書に力を入れています。」

店で取り扱う書籍についてこう説明させていただくことが多いのだが、なぜか「ああ、絵本の専門店ですか。」「子ども向けの本屋さんなんですね。」と答えが返ってくることが多く、少々困惑している。絵本・児童書もそろえているが全体の一部に過ぎないし、アート本にも力を入れている。それに、実は大人にこそ児童書を読んでいただきたいと考えているからだ。

児童書は子どもでも理解できるようにわかりやすい表現で書かれているが、語られているテーマは深遠で普遍的。その上、子どもの興味をそらさないよう文章は無駄を省き研ぎすまされているので読みやすい。さらに読むたびに新しい発見がある、といった具合で一生の友となりうるものだ。

 

そんな児童書の素晴らしさを私に教えてくれたのがエーリヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」。第一次世界大戦後のドイツで寄宿舎生活を送る個性的な少年5人が繰り広げる物語だ。

白状すると、私は最近までこの本を読んだことがなかった。どうしてこの本を手に取ったのか記憶にないのだが、出会えたのは運命としか思えない。

 

 著者のケストナーは複雑な家庭環境のもとで少年時代を過ごし、著名な作家となってからもナチス政権により著書が焚書の対象になったりと、数々の逆境を経験している。そんな自身の経験をふまえ、「飛ぶ教室」の中では少年・少女たちに逆境に負けない力を持つことを説いている。「へこたれるな!くじけない心をもて!」というケストナーの言葉には時代や立場を超えた大きな愛を感じる。

 

以下、私の手帖には「飛ぶ教室」の中の言葉が書き記されている。

 

「…みんなには、できるだけしあわせであってほしい。ちいさなおなかが痛くなるほど、笑ってほしい。

 ただ、ごまかさないでほしい、そして、ごまかされないでほしいのだ。不運はしっかり目をひらいて見つめることを、学んでほしい。うまくいかないことがあっても、おたおたしないでほしい。しくじっても、しゅんとならないでほしい。へこたれないでくれ!くじけない心をもってくれ!

 ボクシングで言えば、ガードをかたくしなければならない。そして、パンチはもちこたえるものだってことを学ばなければならない。さもないと、人生がくらわす最初の一撃で、グロッキーになってしまう。人生ときたら、まったくいやになるほどでっかいグローブをはめているからね!万が一、そんな一発をくらってしまったとき、それなりの心がまえができていなければ、それからはもう、ちっぽけなハエがせきばらいしただけで、ばったりとうつぶせにダウンしてしまうだろう。

 へこたれるな!くじけない心をもて!わかったかい?出だしさえしのげば、もう勝負は半分こっちのものだ。なぜなら、一発おみまいされてもおちついていられれば、あのふたつの性質、つまり勇気とかしこさを発揮できるからだ。ぼくがこれから言うことを、よくよく心にとめておいてほしい。かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ!世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが臆病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった。

 勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう。なにを人類の進歩と言うか、これまではともすると誤解されてきたのだ。」

 

この本によって、私は児童書の力を知った。著者が本に込めたメッセージは、時代や国、人種、世代、あらゆるものを軽々と超えて時代へと受け継がれていく。

 

児童書は子どものもの? 

 

いえいえ、これを子どものだけのものにしておくなんてもったいない!もしかすると、今、いちばん作家のメッセージを必要としているのは私たち大人なのかもしれないのだから。